04年5月,和歌浦の雑賀崎に行った帰り,水軒駅から和歌山港駅まで歩いた.

 実は,廃線前に雑賀崎に行った時も,たまたま思いついて水軒駅へ行ってみようかと思ったことがあった.実際は行かずにバスに乗ったが,和歌山港から水軒までは電車は日にわずか2往復である.多分行っても電車は拾えなかったであろう.

 今回は,目的の半分以上は廃線歩きである.

 和歌山南港の基部の橋を渡ると,”養翠園”という紀州徳川家の庭園がある.橋の上からは線路が見え,水軒駅前は庭園や釣り客の駐車場となっていた.線路の端は3線に分かれ車止めもそのまま残っていたが,駅のホームは撤去されていた.

 線路の東側に,堤防と防風林がある.解説看板があり,堤防は1.4kmあるそうである.付近の農地や塩田を守るために築かれたそうで,その推進者の雅号が,”水軒”なのであった.

 線路の西側に沿った道を北上する.軌道跡には,70のキロポストがあった.付近は港湾関係で産業は活発そうに見える.和歌浦への観光も考えると,四国連絡の和歌山港駅止まりではなくて,全便が水軒まで行ってもおかしくないと思えた.

 レールがそのまま残る廃線跡は500m位で無くなる.道路の歩道にでもするのか,整地中であった.しばし歩くと,再び1m位の盛り土にレールがそのままあった.大きい方のキロポストがあり,ペンキが剥げていたが,69の物であろう.

 軌道は工場の道路に売られたらしく途切れてしまう.先の堤防は工場用地の中に吸収されていて不明瞭になっていた.

 やや歩くとレールが3たび現われ,68のキロポストも残っていた.北へは軌道は登り坂になっていてコンクリートの基礎はずっとそのまま残っていた.軌道は右カーブであるが,先には和歌山港駅からフェリーへの連絡デッキが見えている.軌道の高さは5m以上となり,和歌山港駅の構内へ歩いて入らぬようにフェンスがあった.逆に云うと,ちょっと無理すればそこまでは軌道跡を歩いて行けたことになる.フェンスのすぐ手前は工場内で軌道をくぐる構内道路もあった.今のところ工場内の軌道は残っているが何時壊されてもおかしくない様子であった.

 フェンスのすぐ北には架線の端の電柱があった.和歌山港駅着.ホームは長く四国連絡の8両編成の特急が止まれる長さである.2線あり,西側は車止めで行き止まり,東側が水軒への廃線となっている.勾配標が見え,先は16‰の下り勾配であった.

 和歌山港駅へは何度か来たことがあり,先の線路を眺めたが,水軒終点まで電車に乗ったことは無く,ここでも私にとって廃線が先であった.