太平洋戦争末期,昭和20年5月25日井の頭線の永福町車庫が被災し,動ける電車がほとんどなくなって工兵隊の手で世田谷中原(現世田谷代田)−代田二丁目(現新代田)間に連絡線が作られた.昭和28年に撤去されたが,その跡が世田谷代田駅北側部分だけ残っている.そこを利用して無人の北口が設置されている.小田急複々線立体化工事で消えてしまうだろうと考えて記念に.

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 新代田側では線路右側の家が少し後退して空き地があります.向こうに下北沢の駅が見え,途中に自動車の通れない踏切があります.そこから新代田よりでしか,地形からは合流できないと思われます.そうすると建物後の空き地も代田二丁目側の痕跡かと思えます.

 連絡線があったと思われるところを歩いてみましたが,写真に示した駅近辺以外では何の痕跡も見付けることはできませんでした.小田急に1500,1550という帝都線型の電車が走っていたのを思い出します.

 京浜急行湘南鉄道館の蒲蒲短絡線跡を見て「国土地理院」のサイトで終戦直後に米空軍が撮影した航空写真を最近国土地理院が公開していることを知りました.当時の井の頭線代田二丁目(現新代田)駅から小田原(小田急)線世田谷中原(現世田谷代田)駅にかけて,赤い矢印で示した短絡線を見ることができます.

短絡線空撮