北陸本線倶利伽羅付近旧線




 北陸本線旧線(柳ヶ瀬線・山中越え)の項で述べたように、数多くあった北陸線の難所の一つであった倶利伽羅越えは、1000分の25という急勾配が県境を挟んで連続していた。国鉄最後の新製蒸気機関車であったE10形という動輪が5つもある峠越え専用のSLが、本来の目的であった奥羽本線福島〜米沢間が電化されたため、この地にやってきて活躍していた。

 そんなこの区間の勾配を緩和するため、旧線より南側の少し低いところに新しい倶利伽羅トンネルを掘削し、このトンネルを主体とする勾配1000分の10の現在線に昭和30年に切り替えられた。ただ、当初は単線のままであったので、倶利伽羅〜石動間に安楽寺信号場を設け、昭和37年の複線化完成時まで使用された。

 さて、旧線跡は倶利伽羅駅を過ぎたあたりから現在線より北側にずれていく。そして、国道が現在線と交差する付近に小川を渡っていた煉瓦積みの暗渠の跡が、付近の土盛りが撤去されたために、あたかもトンネルのように残っているのが北陸線の車窓からも認められる(A地点)。ただ、この先は残念ながら、線路跡の築堤は切り崩されたりして原型を保っておらず、その先にあった九折(つづらおり)トンネルの東口も、すぐ上を通る国道のバイパスの高架建設時に破壊されたのか、跡形もない。

土盛りを撤去された暗渠の跡、線路跡は写真の左右方向である


 が、意外なことに、トンネル西口の方はこのバイパスの高架の真下に、トンネル口をコンクリで塞がれながらも残っている(B地点)。いくらなんでも高架に接するほどの所なので、バイパス工事の際に邪魔になったに相違ないが、意図を持って残されたものだと思われる。

バイパスの高架下に奇跡的に残る九折トンネル東口。なお、トンネル口のコンクリは比較的新しく、高架道路施工時に塞がれたものと思われる


 そして、九折トンネル東口の延長線上に見える国道のトンネルこそが、旧線の倶利伽羅トンネルを拡幅したものである。当然ながら2車線の道路の幅になっている国道トンネルに、単線鉄道時代のトンネルの匂いは残っていないが、トンネル東口で、峠を降りてきた旧国道が、現国道と並行しながらもなかなか交差しなかったりするのは、国道が廃線跡である証拠でもある。そして、旧線跡が現在線に合流する付近でも、小川の橋台や農業用水を越える暗渠として旧線の痕跡が残っているのが認められる。

 この倶利伽羅越えの改良は、勾配に関してはかなりの改良がされたが、曲線半径の面では津幡〜倶利伽羅間などで、いまだに急カーブが多いため、高速運転をする北陸線の中でもこの区間の最高速度は抑えられたままである。これが、北陸新幹線の石動〜金沢間が部分的ではあるが、糸魚川〜魚津間と並んですでに着工されている理由でもある。






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