■ガイド 地頭方〜新袋井間


 地頭方から新三俣の間は、戦時中の弾薬輸送用の軍用軌道跡を一部再利用して昭和23年に開通させた区間である。静岡鉄道は、これによって念願の駿遠線を全通させたと誇らしげに記録に残しているが、人家から遠い場所に線路があったこともあり、利用者は少なかった。そのため、堀野新田〜新三俣間に限れば、わずか16年の短命に終わった区間でもある。

 地頭方駅跡を出ると、廃線跡の自転車・歩行者専用道は、高台を緩やかに右へカーブしながら国道150号線と交差し、簡易舗装の一般道になる。この道は1キロほど進むと再び国道とクロスし、今度は県道372号線の一本南よりの道となる。やがて堀野新田バス停のある場所に着くが、ここにあった堀野新田の駅跡は少し広い敷地を残すのみである。

 さらにこの道を進むと筬川にさしかかるが、残念ながらここを渡っていた橋梁の跡はなく、しかもこの付近は意外なほどアップダウンがあって、あまり鉄道が走っていた雰囲気はしない。桜ヶ池付近までの廃線跡はこのような状態で、道路としてルートをほぼたどることができても、駅跡どころか名残をうかがわせるものは何もなく、面白味はない。さらに、新野川を渡ったあたりからは、付近に原発が立地していることによるものなのか、かなり立派に整備された国道150号線に取り込まれて、痕跡の微塵もなくなってしまう。そのため、再び明確な廃線跡を見つけるためには、南大坂駅跡付近まで歩を進めなければならない。

石津駅跡
カーブした低いホームが残る石津駅跡  
 
 
五十岡駅跡
五十岡駅跡にもホームが残っている 

 その南大坂駅跡は、いまだに静岡鉄道が土地を所有しているようで、建貸用地の看板が突っ立っていて、駅跡を指し示しているかのようである。そして面白いことに、付近の街灯にある表示はいまだに「大坂駅前」のままである。この付近から線路がはずされたのは昭和42年のことであるから、かれこれ40年ちかくもそのままであるというのは注目に値する。

 南大坂をでた廃線跡は広い道路になっているが、野賀駅跡の手前あたりからこの道路と別れ、山裾を行く未舗装道となる。途中さえぎられる場所はあるものの、木立の中を貫いて、趣深く廃線跡が続いている。東大谷川を渡ると、再び舗装された道となり、大須賀町の街に進入していくが、やがて廃線跡は明確でなくなる。

 大須賀の町の西はずれで県道のすぐ南側に並行する道が現れるが、この道の歩行者・自転車専用道部分が廃線跡であり、これからが駿遠線袋井方の廃線跡ではベストの区間になる。この歩行者・自転車専用道は一部途切れはするものの、そこはかとなく鉄道の匂いを残しながら田園地帯や丘の上を進む。

 特に石津と五十岡(いごおか)の両駅跡にはホームが残っているが、うっかりすると見過ごすほどちっぽけなものである。その短さや低さは、私たちに軽便自体の規模を伝えてくれる。

 その後、この道は浅名の手前で並行してきた県道とクロスする。広くなった交差点で痕跡を見失いかけるが、そのまま直進していくと、最近整備された歩行者・自転車専用道がでてくる。これが廃線跡であり、「夢軌道 2フィート6インチの夢のあと」というプレートが埋められ、道路との境の柵も軽便を形どったものになっているが、肝心の夢のあとの薫りは全くない。きちっと整備されている区間はすぐ終わるが、この先も諸井付近までは、歩行者・自転車専用道として細々と廃線跡が残っている。

 その後県道の拡幅に使われた廃線跡は、袋井方では三年足らずの間だけ共存した新幹線の下を再びくぐる。袋井駅の手前で左に曲がる県道に対して、まっすぐ進んでいく廃線跡の道は、これまた駿遠運送の建物の横をかすめ、緩やかに右にカーブしながら袋井駅構内へ向かっている。



■あとがき 静岡鉄道駿遠線・大手線

 この鉄道の最大の特徴といえば、やはり軌間が762mmしかない軽便鉄道であったことであろう。線路幅が小さいと車両も小さくなるためか、諸施設等も全般的に小ぶりであったため、現在たどれる線路敷跡も総じてスケールが小さくて、なにか等身大の親しみを覚える路線である。

 軽便鉄道とは、地方幹線級の鉄道を国有化した後、民間資本による支線級の鉄道の建設を促進するために明治43年に公布された、「軽便鉄道法」に基づいてつくられた鉄道をさす。これは、それまで厳しかった建設、運転、営業などの規定を緩和して、その名の通り「軽便」な鉄道により鉄道路線網を整備しようとしたもので、当時の標準軌間であった1067mmより狭い軌間を持つ鉄道が多かったため、軽便鉄道というと狭い軌間を持つ鉄道というイメージが定着した。今回取り上げた区間のなかで、一番最初に開通したのが、藤相鉄道による藤枝新〜大手間の大正2年のことであるから、この鉄道も法律公布直後に全国に雨後のタケノコのように生まれた鉄道のうちのひとつということになる。

 昭和40年代頃からのモータリゼーションの進展は、全国の地方鉄道に多大な影響を及ぼしたが、とりわけスピードアップに限界がある軽便鉄道には厳しかった。そのため軽便鉄道は改軌や廃止などでどんどん消え去っていった。現在軌間が762mmの鉄道は、近鉄内部・八王子線、三岐鉄道北勢線や黒部峡谷鉄道を残すのみとなっている。

 さて、静岡鉄道廃線跡の探索には、非常に有効な資料がある。それは藤枝市郷土博物館が発行する「軽便鉄道」という本で、本の性格上藤枝付近の話が多いのはやむを得ないが、当時の写真や資料がかなり詳しく掲載されている良書である。この本は岡出山駅跡に近い藤枝市郷土博物館で手に入るので、是非ともこれで予習されてから廃線跡に踏み込むことをおすすめする。

 この路線は長大であるため、全線を探索をしようとするとかなりの時間と労力を要する。どうしても時間に限りのある方は、相良周辺を自転車でめぐるのが最良であると思われる。また、藤枝方では大須賀から浅名にかけてがお薦めできる区間である。

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